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レトロで素敵なお店がいっぱい!空堀商店街を歩いてみよう 〜歴史編〜
古くからのお店も、新しいお店もあって
歩きごたえのある空堀商店街。
今回は、空堀商店街周辺の歴史を調べてみました。
ぜひ写真とともにお楽しみください♪
目次
1. 空堀商店街ってどこにあるの?
2. 3つ合わせて「空堀商店街」
3.「空堀」の名前の意味
4. 戦火をくいとめた「エンジュの木」
1. 空堀商店街ってどこにあるの?
松屋町通から谷町筋、そして上町筋まで
約800mの長さで空堀商店街のアーケードが立っています。
松屋町から谷町六丁目までは、ゆるやかな坂道となっているため、
空堀商店街も長い坂に沿って店が立ち並んでいます。
決して急な坂ではないのですが、
自転車で下ると結構スピードがでるみたいなので
ぶつかったりしないようにちょっと注意です。
はしからはしまで、早歩きなら20分弱でしょうか。
実際には、いろいろなお店が気になって、
「半日くらいでは足りないぞ」というのが筆者の感想です!
2. 3つ合わせて「空堀商店街」
昭和20年から続く、空堀商店街。
昔ながらの長屋がたくさん残され、活かされています。
アーケードの屋根の形をよく観察して歩くと、
3種類あることに気づきます。
そして、屋根ごとに「からほり商店街」「はいからほり商店街」「からほりど〜り商店街」と
名称がついています。
同じ空堀商店街でも、組合が違うために
アーケードの形や名称が違っているそうです。
アーケードを作るには多大なお金がいりますが、
空堀商店街がアーケードを建設した当時にはまだ
自治体からの補助金制度がなかったため、
組合員はたいへんな苦労をしました。
最初につくった300mのアーケードの
総工費約3億2,000万円は、
組合員の自費100%にて20年かけて支払ったということです。
そういった事を知ると、
雨の日でも快適にお買い物ができるこのアーケード、
とてもありがたい存在だなと思いますね。
3.「空堀」の名前の意味
空堀商店街は大阪城の南側に位置しています。
大阪城の北・西・東は縄文時代には海でしたが、
江戸時代には埋め立てられていました。
ただ、埋め立てたといっても低地だったため
周りより高台にあたるところに大阪城が建てられ
北・西・東には大きなお堀が作られました。
残る南側は大阪城が建てられた場所と同じ高さの
上町台地が延びています。
豊臣秀吉はそこにあえて水を入れない”空のお堀”を作って
敵襲に備えたそうです。
これが現在まで続く”空堀”の由来で、
この空堀周辺は第二次世界大戦でも戦火を逃れた
貴重な土地として知られています。
戦後いちはやく商売の灯をたてることができ、
大阪の人々の暮らしの復興を支えました。
そんな空堀周辺には、
古い路地や、お堀の跡、町屋などがたくさん残っています。
4. 戦火をくいとめた「エンジュの木」
エンジュとは、漢字で「槐」と書きます。
中国原産の樹で、空堀商店街の近くにこの樹を祀った
「榎木大明神(えのきだいみょうじん)」があります。
樹齢はおよそ650年と言われ、
豊臣秀吉の時代には熊野参りと伊勢参りの道中に位置しており
この大木は目印となったということです。
土地神としても大切にされていて、
「白蛇大明神」の祠をたててこの樹をお守りしました。
昭和20年(1945年)、第二次世界大戦の大空襲では、
襲ってきた猛火がこの樹のあたりでぴたりと止まり
東側一帯が延焼を免れたそうです。
さいごに
今回は空堀商店街やその周辺の歴史について触れてみました。
大阪でも珍しい、昔から残る貴重な場所だということがわかりますね。
人々から受け継がれて、今も愛されている素晴らしい街だと感じます。
現地には歴史を残す場所がまだまだあるので、
また近くに行った際にはお堀の名残なども確認したいと思います。
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